兎狩り作戦

1942年の11月、日本政府は「華人労務者内地移入に関する件」を閣議決定します。日本の成年男性の多くが徴兵され、国内の労働力が不足していたので、それを補うために政府中国から労働者を「移入」するという決定だった。

山東省に駐屯していたある兵士の証言です。

「私らは?兎狩り?とか?苦力狩り?と呼んでおったね。それまではこういう作戦はなかった。東昌に来てからはじまったんだよ。どんな作戦なのかは、出るまでは知らされない。作戦に出てから、上から命令が出る。横一列に並べ、若い中国人がいたら捕まえろって。兵隊が知らされているのはそこまでだよ」

「この作戦のための訓練というのはしたことないねえ。現地に行ったら命令が出て、それではじまった。何回もやっているうちに慣れてきたねり上の人間は何をするのか知っていただろうけど、こっちは知る必要もないからね。ただ命令されたとおりに動くだけだよ」

「少しずつ輪を縮めていって、輪の中にいる人間をみんな捕まえるわけだ。こうすれば逃げられないんだよね。これが兎を狩るやり方に似てるってんで、我々は?兎狩り″と呼んでいたんだよ」

「進んでいくと、向こうから来る他の部隊と顔が合う。そこで作戦は終了だ。捕まえた若者たちを車に乗せてね、どんどこどんどこ、車で済南に送っておったよ。それからどこに連れて行かれるのかは、当時の私らは知らなかったね。相手が民間人だってことは知っているよ。見ればわかる。だけど、だからどうだということはなかった。兵隊だからね、命令されたことをやるだけだったよ」

「何回ぐらいやったかは覚えていないけど、何度もやっているうちに、もう部落には老人と子ども、それに女しかいなくなった。若い男は捕まったか、もう逃げちまっている。何人ぐらい我々の部隊で連れていったかわからないけど、一〇人や二〇人じゃないことだけは確かだね」

「もう私らも、明日がどうなるかわからないり死ぬかもしれないりしかも相手は中国人だ。チャンコロだという意識がある。どうせ殺してしまうなら強姦してもいい、という意識だった。それに、強姦をしても捕まることはない。陸軍刑法で罰が決められていても、自分の部下が強姦をやったとなったら上官の恥だからね。五年間、戦地におったけれども、一人として罰せられたのを見たことはない」

「ある部落で、若い兵隊が一人の女性を連れてきたんだね。二〇歳か、それぐらいだった。
こりゃいいってんで、六人だったか八人だったか、私ら兵隊で、これをやろうということになって、順番を決めるためにくじ引きしたんだ。私は四番目か五番目だった。一番目から順々に、数人の兵隊が、一人の女性をね……。その女性が死んだのか生きのびたかは知りません」

上記の証言は下記を立証するための別人の証言です。

参考

こうして「兎狩り作戦」は終わった。第12軍が「兎狩り作戦」といったのはこの二回の作戦であったが、その後は12軍隷下の各師団でこの戦法を応用した作戦が、数多く実施された。


「兎狩り作戦」は実在した

http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/04/usagigari.htm