二十一ヵ条条約

「対支二十一ヵ条の要求」は正式な名称ではなく、通称「対支21か条の要求」と言われるもので、1914年12月3日、対華要求条件十四ヵ条と希望条項七ヵ条併せて二十一ヵ条の条約案で、この条約の締結を迫った日本が最後通牒を突きつけ大正4年5月9日に受託した。当時の新聞では「日華新条約」と言われ、さらに5月25日に、それぞれの問題ごとに条約並びに交換公文の形で北京で調印された。つまり「対支21カ条条約」とは俗称で事実条約締結後も最初の名称の「二十一ヵ条条約」のまま呼称しております。