日本振農策

「昔日に在りては便益なりし農業上の諸制度も、開港以来全く反対の景況を呈し、今日に及びては、却て多数人民を抑圧し、諸般の真正なる進歩を妨ぐるに至れり。又、他の一方に於ては、臣民の自由、真正なる財産所有権、貨幣経済等新に許多(あまた)の社会的事情を生じ、為めに政府は新法度を制定し、一個人は新整理法を案出せざるを得ざることと為り、改革の必要実に今日に迫れりと云はざるべからず」

「納租力納税力を算定せんには、精密に農民の収穫と費用とを査定するを要す。予は、多年間蒐集せる統計表に依り、農夫及其家族自身の労働を仮に賃銭を払ふものとして費用を算出するに、米、大小麦、栗、其他の植物は之を耕作するの費用却りて収穫より大なる故に大に損失あることを発見せり。故に農夫にして賃銀の出でざる自家の労働に依頼するにあらざるよりは、其生命を送ること能はざるべし。官撰統計に拠れば、甘藷、綿、藍葉、煙草は之を耕して利益ありと云へり。然れども之より土地の資本に対して払ふべき利息を減ぜば、全く利益なきか、又は有るも極めて小にして無きが如くなるべし。然るを況んや前記の如く、米麦等の耕作は其損失甚だ大なるに於てをや。然るに農民の能く生活することを得る所以のものは他なし、周年中最も価なき粗品を其主たる食物となし、其収穫より借地料、地方税、及び地租を払去り、余す所の残額を以て悉く其食物に充つるに由るのみ。是を以て日本の農夫は凶年には困苦し、豊年には豊に生活すと錐も、之れを要するに其日暮らしに生活し得る迄なり・・・・斯の如く日本の農家の常費を観察するに生活の度退却し行くを見るは、予の憂慮する所なり。蓋し封建時代には、総ての租税、皆物成約にて農夫は其収穫の残余を自家用に留め置きたりしも、金納と改まりてより以来、皆其米の大半を売払ひ、廉価にして且つ滋養の少なき穀物に生命を維ぐの已むを得ざるに至れり。農務統計表第二巻に全帝国に対する面白き食物計算あり、其計算に拠れば、日本人の平均一人の食物は、動物質食物、殊に魚類を除けば、大略百分中米五十三、大小麦二十七、栗十三・九、甘藷六、果実海草〇・〇五の割合なり。勿論此は毎歳の収穫高を人口に配合して推算せしものに過ぎざれば、実際農民は是より一層強き割合を以て、安く且粗粍なる穀類を併食することなるべし。
日本農夫は斯の如く貧困なるより、歳末に作物の剰余あるを見るは甚希に、殊に現金を余し得るは最も希なり。而して其出費の多端なるは、以て貯蓄に至極の困難を感ぜしめ、遂に自放自棄して顧みざるに至らしむ。故に若し意外の出費を要することある時は、余儀なく之を他より借入れざる可らず。其れも正当の利子にて起債するを得べきに、之に関する良制度の具はらざるより、果ては高利貸の毒手に陥ることしばしばなり、且つ外国貿易の開けてより以来、農民の生活は漸次贅沢に流れ、殊に千八百七十九年より八十二年に至る間は、流通紙幣の価下落せし為め、自家の産出物は殆ど其価を二倍せる姿となり、一時好景気を皇せしも、紙幣の価格常に復するに及び、農夫は生計を維持する能はず、遂に負債を起すの止むを得ざるに至れり。地租改正に由りて、農夫は地所の所有証券たる地券を与へられたりしに、此券状を以てすれば、以前よりは容易に負債を起すことを得、時ならぬ土地財産の流通力を頼みに、農夫は争ふて金を借入れ、以て外国風を装ひ、生活の度を高むるの資に供したり。去ればとて精確に農民社会の負債額を挙示するは、出来得べからざる事なり、一般に推定せらるゝ所に由れば、日本の農夫は極めて重き債務を負ひ屠れりと。然るに政府の記録は、此所見に反して土地財産の負へる債務は左程に過重ならずとの事実を証明せり」(明治24年刊日本振農策より著者エッゲルト)

ウドー・エッゲルトはゲッチソゲソ大学の理財学(経済学)の教授で、東京帝国大学の理財学および財政学教授として大蔵省顧問を兼ねて明治20年に招かれ、28年に帰国する。


感想

明治維新により日本は世界の歴史に比類なき進歩を遂げたけれども、その改革は外形のみで、日本にとって最も重要な社会的基盤である農業は、封建時代の余弊につきまとわれて進歩のあとがみられない。日本は農業の進歩なくては堅固たる国民経済の基礎はありえなかったのだが、明治維新の近代文化の底流をなして、脈々として生きつづていた地下水の滋養しつづける地盤として期待されているものは、時代錯誤的制度の桎梏に甘んじて地主の温情主義をせめてもの頼りとしなければならないような境遇に置き去りにされた農村の社会関係だったのだ。かような半封建的農村から溢れ出た過剰人口を人的資源として近代の諸々の事業で収納できた合理性には溜飲が下がる思いである。