壬午軍乱の直接の発端

朝鮮開国以来、朝鮮との貿易において主な輸出商品は綿布であり、朝鮮の伝統的な棉作および手織業が衰退する反面、朝鮮で買い集めて輸入するものは主として米、大豆などの倉糧であった。そして朝鮮国内には食糧危機をまきおこし、穀価は江華島条約以来三〜四倍に騰貴し、人々の生活はいっそう塗炭の苦しみにおちいった。

当時ソウルの軍人たちは軍料不払いによる生活の不安、別技軍との差別待遇に反抗する気運が極度にたかまっていたのである。明治5年7月、一三カ月にわたる不払い軍料のうち一カ月分を支給したが、それは量目が不足しているうえに、中間横領分をおぎなうために砂や糠が半分以上もまじっている代物であった。これにたいする軍人たちの怒りの爆発が、壬午軍乱の直接の発端となった。

史料

朝鮮は米産地のふとつにして其緯度わが国の中洲と殆ん亡等しきか故に気候温度共に適当なる産地なり明治十四年7月全国駐在領事の報する処による。
米は朝鮮国物産中最も重要なる虜のものにして殆ん輸出品価格の六分を占めを近年日本に向て漸次販路を広めめ明治十三年には攻日本内地は於て米債高騰せし為め大なる輸出をなせり釜山港よか輸出する米は慶尚全羅忠清の朝鮮三道に中最も多量の米を産する地にして俗にしょうして朝鮮の米櫃という先年日本に向けて許多の輸出米あるを以て該地方の米価は従来に比して著く騰貴し陥て農民の利益多きは至れるより近来国内の開墾盛んにして他業を止めて農業に専する趣あといふ(明治30年日本米穀之将来 岡勇次郎著より)