日本の近代化とは

工業国じゃない日本のような農業国が開国すると、欧米の諸商品が流入によって、金か第一次生産物の輸出にもっぱら依存しなければならない。薩長政府が自己政権を強化するには軍備強化が必要とした。そのためには造船、鉄鋼、交通、伝達手段に力を入れることになり、その代償として生糸、お茶、米などの農産物を輸出した。この構図は日本が工業化されようになると変るようになるが、明治元年から明治14年までの時期おいては、軽工業部門での工場制工場の一般化は未だみられず、ただ政府直営の工場制工場を模範として部分的に工場制工場が発生したにすぎない。しかし明治16年以降になると製糸業・紡績業などの軽工業部門において工場制工場の発展をみることになる。
日本が製糸業・紡績業などの軽工業部門発展した大きな要因は、印度以下の人的な資源が豊富にあったからだ。日本の村では家族を養うような政策は見られず、かえってその子供たちを人的資源として利用できるよう半封建的な農業政策が推進され、新政府主体とする企業工業化の近代化とは名ばかりで、民主的な諸権利と自由はほとんど与えられず、不断な侵略戦争にかりたてられつづけたということです。