遺書の一節から

1946年シンガポールチャンギー刑務所で戦犯として死刑になられた方が死の直前に書かれた遺書のほんの一節ですが、「私は死刑を宣告された。誰がこれを予測したであろう。・・・・日本は負けたのである。全世界の今憤怒と非難の真只中に負けたのである。日本があえてしてきた数限りない無理非道を考える時、彼らが怒るのは全く当然である。今、私は世界人類の気晴らしの一つとして死んでいくのである。これで世界人類の気持ちが少しでも静まればよいのである。私は何ら死に値する悪をしたことがない。悪をなしたのは他の人々である。しかし、今の場所弁明は成立しない。江戸の仇を長崎で討たれたのであるが、全世界からみれば彼らも私も同じく日本人である。彼らの責任を私がとって死ぬことは、一見大きな不合理のように見えるが、かかる不合理は過去においては日本人がいやというほど他国人に強いてきたことであるから、あえて不服は言い得ないのである。日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死んでも死に切れないが、日本国民全体の罪と非難を一身に浴びて死ぬと思えば、腹が立たない。笑って死んでいける。
今度の事件においても、最も態度の卑しかったのは陸軍の将校連に多かった。・・・・云々」
(木村久夫さんの遺書の一節から)