京城の乱の真相

京城の乱の真相

・・・されど井上氏が朝鮮に対する好功心は猶止むこと仏国とキンを開きたるに乗じ、朝鮮の野心家を慫慂して内乱を起さしめ、大に其内政に干渉せんとす。朝鮮人金玉均は、又井上氏の計策に乗りて、却て之れを利用し、己の野心を追うせんと計り、大に韓延の反対党を暗殺し、政権を掌握せんと試みたれど、井上氏が使用したる我在韓公使竹添進二郎なる者は、唯一介の文字の士たるに過ぎざる故、事に臨み狼狽恐催して物の役に立たず、清国の駐在官哀世凱の為に京城を追われ、金玉均以下の亡命者を将て日本に遁げ帰りたることは世に知れたる事実り。此事に関し、井上氏の謀は幾分を占め、金玉均の謀は幾部分を占めたるか測り難しといえども、朝鮮に我勢力を逞うせんとする策は、此時に清国の為に挫折されたると、清仏の葛藤は恰も此時に於て和睦に帰したるを以て、井上氏は又其従来の宿志を遂行するの意なく、自ら朝鮮に出張して、曖昧の中に事を纏め帰朝せり。然して此時迄稀有の人才の如く賞揚したりし竹添を、此後絶て用いざるを視れば、竹添が井上氏の期望に副わずして失敗を来したるは少々の事にあらざるべし。此事件に付、予は金玉均の所言も親しく聞き、井上角五郎氏の所説も戎親友より聞きたるに、彼等は都て本来の計策と失敗とを以て、全く井上氏の責に帰すると雖も、之れ蓋し金玉均・朴泳孝の徒が自己の過を隠し、他の過を誇張する片言なれば、元より悉く信ずるに足らずと思う。(元外務大臣林重の手記より)