西原亀三の夢70余年

 日本の一部の者によって巻き起こされた大規模の中国撹乱は、まだわたしが朝鮮にいる時から始まり、八方に飛火して猖獗を極めたものである。それから約半年後、わたしの第一回渡文の頃は、はや大分下火になりかけていた。それでも行く途中、大連から旅順へ分かれるところでは、日本の将校が苦力などを集めた一隊に教練をやっているのを見た。満州方面では例のパブチャプ引張り出し計画が行なわれていた時で、これもパブチャブの兵隊にするつもりでやっているものと読めた。わたしはこれらの実情をもっと細かく調べて見たいと思い、北京からの帰りがけを済南に寄り、山東鉄道を経由して道々状況を視察した。沿線至るところ物情穏かならず日本人に対する中国人の反感はひどいものだった。

 山東省二於ケル革命党ト日本人

在青島一邦人ヨリ船津書記官へ宛テタル書信中ノ一節

御来示ノ当三東命党ハ実際言語同断御座候。此見開ハ各方面ヨリ当へ探知一々当局へ直言的報国を致置候。或ハ貴方へ回送ニナリ居ラズヤ。併シテ此終局ハ如何ニナルモノカ現今当地当局ノ為ス事ガ一向ニ徹底不致、小生モ亦聞カント欲セズ、彼亦言フヲ憚ルモノノ如シ。貴示ニ言フ革命党二付合ノ日人云々是ハ其実ヲ言へバ、日本人ガ革命ヲ働キクルモノニ御座候。済南攻撃ノ如キハ何レモ日本人耳テ白洋服ノモノアリ、白シャツニ日本袴ヲ穿ツアリ、又ハ浴衣掛ケノ先生アリ、何レモ左ニ日本刀ヲブラ下ゲ、右ニ銃ヲ持チ向鉢巻勇マシク乗込ム故、彼等ハ皆革命ハ日本人ト思居候。故二山東内地人ハ日本人ト見レバ皆悪党卜心得、村中連合シテ敵対行為ヲ執ルナリ近来山東内地ニ於テ不断日人ノ被害アルバ為之耳ニ御座候。済南攻撃ハ一例二過ギ不申、尤モ今ハ支那カニテ一定ノ軍衣ヲ着シ兵隊ラシキモノモ有之ヤニ聞及申候。

右革命騒動ハ其結果、山東人が尽ク日本人二対シ非常ナル怨ヲ懐クト同時ニ、正当業務ヲ為シツ、アル日本人ノ非常ノ迷惑ヲ感ジツツアルニ過ギ不申、是誰ノ責任乎。

上記は西原亀三の夢70余年からのものです。

感想

もうダメ!

見ての通り!

補足

日本人が各所に爆弾を投じ市場付近の民家三戸を焼き一人の小児を焼死せしめたりなどと、破壊、掠奪、殺害、なんでもありで、シナ哨兵と論争になると、日本の憲兵隊がきて、すぐに守備隊を繰り出し事件を解決するよりもシナ兵に対して謝罪を要求して問題を大きくするのが常です。

山東省二於ケル革命党ト日本人」は大正五年七月頃の作成で、日置駐支公使の調査したものです。この文に続きその詳細についての長文がありますが、労働負担が過大になるので約します。

【猖獗】しょうけつ

〔手がつけられないほど荒れ狂う意〕