至道無難

ある日、無難は商家を訪ねて、主人と話をしていた。ちょうどそこに別の商家からの使いが来て、主人に包んだ金を渡して帰っていた。そこから間もなく、無難もそこを辞去した。

主人が金のことを思い出したのは、しばらくしてからであった。ところが、どこを捜しても金が見つからぬ。そこで主人は無難のところに行き、「もしや、何かのまちがいで、お持ち帰りになられたのでは・・・・」と尋ねた。

無難は何も言わずに、それだけの金を出して主人に渡した。

数日のうち、思いがけぬところから金が出てきた。

ビックリしたのは主人である。すぐさま無難のところに行き、丁重に詫びた。もちろん、無難からの金は返した。

「ああ、そうですか。でてきましたか・・・」

無難はそう言って金を受け取った。別段、怒る様子もなかった。

また、こんな話もある。

無難の人柄に惚れ込んだ金持ちが、一庵をつくって無難を住まわせていた。

ところが、その金持ちの娘が妊娠した。相手は?・・・と問い詰められ、困った娘は、
「じつは無難さんが」と嘘をつく。

父親は怒って、無難を庵から追い出してしまった。

のちになって、娘は正直に父親に告白した。驚いたのは父親だ。濡れ衣で無難を追い出したわけだ。ひたすら無難に詫びる。

しかし、無難は、にっこり笑って、「ああ、そうですか・・・」というだけである。そして、父親の請いに応じて、再びもとの庵に戻った。

嫌疑を受けたとき、弁解もせずに黙って引き下がることは、むずかしいことだけれどできないわけではない。しかし、何事もなかったかのように金を受け取り、庵に戻ることは、よほど人間が大きくないとできない。

至道無難の人格の大きさと物に執着心がない寛容さは、心に感ずることがおおいにある。