富国強兵

水戸藩主・徳川斉昭に代表される攘夷は、富国強兵を説くようになります。産業、経済を発展させて国を富ませ、その豊かになった財政資金で軍隊を強化して、列強から日本を守れという理屈です。この富国強兵策は明治政府にも受け継がれ、日本の国家目標になります。初めのころは列強、つまりアメリカやイギリス、ドイツ、フランス、こういう列強の植民地獲得競争から日本を守るために富国強兵をやるんだという考えていたのですが、まもなく征韓論だの台湾出兵などを契機にして、膨張主義と結びつくのです。そして、領土の拡張は国家民族の発展であると、誰しも疑わないで、国をあげて領土拡張政策を推し進めます。
本来は富国強兵は列強から日本の独立を守るための自衛のためでありましたが、それが、明治になって、領土拡張政策に変わってしまうのです。
太平洋戦争の遠因は、このような明治以来の領土拡張を目的とする富国強兵策にあるのでしょう。日本は政治家、官僚、軍人、マスコミを挙げてこの政策を推し進めてきたのであり、この歴史の流れに逆らうことは容易ではなかったでしょう。