明治維新

明治維新の三傑たちも、結局それぞれの思いのため、流れにより幕府を倒し、西欧文化を急速にとりいれ近代化した。
しかし、当時の列強欧米対外政策は、大航海時代からスペイン、ホルトガルは積極的な植民地支配を世界に広げていたし、イギリス、オランダ、フランスもそれを迫った。
遅れを取っていたのはドイツとロシア。またアメリカはハワイやフィリピンに食指を動かしていたわけで、武力で他国を切り取る世界中が植民地政策をとり、まだ未開発な大アジアにおいて進出し各国の植民地を確保していた。
日本政府もまがりなりにも近代化の出発点にたち、これから欧米に追いつこうとして植民地国膨張主義の推進を志向しうることは、当時の世界情勢か顧みれば、琉球、台湾、朝鮮の進出は当然の流れであった。
その思いは、やはり列強欧米に対抗できる日本帝国を作ることであった。
私は思うのですが、今言ったことは、当時の常識の考えという一般的なものであるという考えは、いささか、早計的な思いではないかと考えます。
植民地帝国主義とは、あくまで、当時の専制君主や国指導者たちの勝手の思い込みかもしれませんね。なぜなら、植民地政策を推進していった国の民人は果たして海外進出を希望していたのでしょうか。もちろん、国が植民地により、拡張することが富をその国に集めましたが、果たして、その富がどれだけ、民人に還元されたでしょうか。
日本においても、海外進出により民人の生活がよくなったのでしょうか。
普通に暮らしていて、外国から攻められた別けでもなく、親、兄弟が兵としてとられたことにたいして、モノをいうことが出来ない状況を明治維新の三傑たちもまさかこんな結果を予想して作ったわけではないと思うが、結局は三傑の起こしたもの偉大でもなでもなくただの歴史の流れだということもいえますね。

戦費の負担はだれが負担すのでしょうか。
その富はどこに懐にはいるのでしょうか。

戦費は民人が負担し、その益が民人に還元されたのでしょうか。

民人は三食メシが満足に食えればいいのであり、海外進出などダイソレタ考えなど持つはずない。

「民人は三食メシを」を明治維新のスローガンであれば、
すばらしい日本ができたかもしれませんね。