維新当時の国際状況

ロシアは兵力百余万、いまにもトルコを飲みこもうとし、いまにも朝鮮を領有しようとしています。ドイツも兵力百余万、さきにはフランスを踏み破り、いまやアジアにまで勢力を伸ばそうとしています。フランスも兵力百余万、いまやドイツに報復しようとし、最近はまた安南の土地を侵略しました。イギリスは軍艦百余隻、地球上いたるところ植民地のないところはない。
中国は、兵隊は百万以上あるけれども、乱雑で無統制で、いざというとき約に立たない。この国は、制度があってないようなものだ、とのこと、つまり、よく肥えた大きなヒツジなのです。
今日、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアの諸国が、富み、強くなったのは、一朝一夕のことではありません。その原因はきわめて複雑、その手段はきわめて多様です。哲人的な国王が統治して、仁政をしいたこともあり、すぐれた将軍が武功をたてたこともあり、大学者が深遠な学理をとなえたこともあり、工芸の名人が見事な武器を作ったこともあります。平和なときは蓄え、戦争のさいは戦い、万の苦しみをへて、やっとこんにち文明の境地に入り込んだのです。いったいどれだけ年月をついやし、知力をつくし、手間をついやし、物資をついやしたことでしょう。ところが、われわれが急に横から、その成果を分け取りして文明の境地につき入ろうとし、他国におくれて文明の内容を手に入れようとするものは、やり方はいろいろあるが、要するにたくさんの金を出して買い取ることにほかならないので、小国の日本はその費用を出すことができない。ところが天の恵み、目の前にむっくりと大きな国があって、土地は肥え、しかも兵隊は弱いときては、これ以上の幸運がまたとありましょうか。もしその大国が強い国だったら、割き取って自分を富ませようと思っても、できない相談です。ところが幸いなことに、その大国はぐうたらで、くみやすい。おくれて文明の道にのぼった日本はこれを取って自分を富ませ、いつか文明国になるための素地をつくろうとした。
ロシアはアジアに勢力に勢力をのばし、都合のよい土地をぶん取って、イギリスのインドを衝こうと思いながら、まだ容易に手をくだせないでいるのです。プロシアとフランスは止めどもない競争をしている。ロシア、イギリス高見の見物で、二国が衝突するのを待っている。いったい、どの国もみな、その外交政策となると、もっぱら腕力を重んじて、道徳は重んじないように見えますが、それも世間の人の想像するほど、はなはだしいものではないのです。もしプロシア、フランス、イギリス、ロシアの四カ国の勢力がだいたい釣り合っているから、彼らはみなやむを得ず、多少とも国際法を守らなければならない。多くの国が、併呑の禍いから免れているのは、こういう理由からです。
それに文明国家というものは、多くの意欲の集合したもので、君主、官僚、議会、一般人民があって、その構造はきわめて複雑ですから、方向をきめて運動をおこすのも、もはや一個のばあいのように、身軽にいきません。もし国家の運動が、一個人のばあいのように身軽であり得たならば、強い国はいつも横暴のしほうだい、弱い国はいつも禍いをこうむらねばならないでしょうが、幸いにして、そうではない。一万人の兵隊を出動させ、百隻の軍艦を派遣しようと思うと、君主が検討し、宰相が検討し、官僚が検討し、議会が議論し、新聞が議論するので、一個人がすそをからげ、棍棒を持って、のこのこ歩いて喧嘩に出てゆくようなわけにいきません。ヨーロッパ諸国は勢力均衡であり、国際法という約束があって、眼に見えぬところで手足を拘束しています。だから諸国は思いどおりに噛み付くことができないのです。