未開発民族

自国が世界の中心である考え方は未開発民族の特有な国際感覚の未発達からくる人類の本質である。特に日本が四海に囲まれているという特殊な島国により、侵略や国外進出など他国からの武力による脅威に晒されることなく文化や思想が育った。(一部例外もあったが)それが外圧によりその本質がいやがうえにも意識させられ、国防と一体する自発的な民族優越意識が論じられた。
国防も民族優越意識から日本が主軸に据えた形でしか成立不可能で、中国も朝鮮も日本の国防の位置づけとして主導する対象しての意識しかなかったのではないでしょうか。
この意識から相対的にアジアへの差別・蔑視感を増幅していったのだろう。それは同時に異質なるものを排除し、当代の文化人・知識人とされた人々によって繰り返し強調され、現実の政治過程において中国への強圧的な姿勢が露骨に示されていったことも手伝って、中国社会を否定的に据える傾向へと国民意識を追いやった。
つまり、国家や民族の伝統・文化の保守・堅持を最大の価値観として意識されたことにより、それと相対的に日本国家の他民族・他国家への徹底した差別・侮蔑意識が内在化されたのでしょう。その側面としての侵略思想に傾向することになる。
国際感覚の未発達からくる自発的な日本民族膨張主義を正当化するための理論構成として様々な文明・文化的色彩で粉飾され、それによって侵略の企画や実態を一貫して採用してきたことが特徴として表れている。そのことが侵略の事実や実態への認識を弱め、逆に侵略思想を積極的に受け入れる国民意識を共有させられ、国民動員を容易にしてきたのである。
このような国際意識が西欧諸列強への劣等観念から脱却する理論としての侵略思想が形成されてきた。その劣等観念が逆にアジアに対する優越観念を拡大生産されていき、侵略思想の根本的構造を決定づけていったのである。
そうした大陸侵略思想なるものを育んできた日本の社会構造や日本人の意識構造はマッカーサーの「われわれは近代文明の尺度で測れば45歳で成熟した人間であり、くらべて日本人は12歳である」がオーバーラップする。

未開発民族の特有な国際感覚の未発達からくる国防と一体する自発的な民族優越意識とは「征韓論」に端的に表れている。
国内の諸矛盾の存在や権力強化の手段として民族優越意識から海外に向けられ政治力として自発的に派生的に実践されたものは客観的合理性の決如したもので、西欧列強のアジア侵略という危機意識から選択された行為ではなく、侵略の事実に触発されて朝鮮領有が論じられたに過ぎない。
このことは「内乱冀う心を外に移して国を興すことと遠略」が物語っていると思います。
小泉八雲ラフカディオ・ハーン)はハックスレーやスペンサーの「社会進化論」を深く身につけていた。来日した八雲はその社会進化論の視点から日本人を観察して
「日本人の性質や風俗習慣は進化論的に西洋人より若い経験から生まれたものだ」と言っている。
また「日本と西欧の差は何千マイルという距離で測られるものではなく、何千年という時間で測られる性質のものである」とも言っている。