重野安繹が語った西郷の性格

重野安繹が語った西郷の性格


西郷が明治維新において、彼ほど存在価値が際立っていた者はいないのではなかろうか。みんなに期待され、いつもその中心に存在していた。だが彼はこれらの大事件の渦中にあって、どのような方針に基づき考え、将来いかなる見通しを持っているのか理解するのは無理である。なぜなら、彼はいつも中心に存在していたが、みんな回りの期待はその場、その時により違った。いずれもその期待に答えてくれるような西郷であったが、それはすばらしい人間性なるゆえでもない。「すばらしい人間性なるゆえでもない」とは、じつは「世の中小人などをば、自分の度量内に入れてやる事は乏しく、敵を作って激しく憎む風があり、参議連中が姑息じゃとか、富貴を貪って居るとかいって政府の人をば憎む。政府の人を憎むところから、征韓論が起って・・・・大臣をはじめ皆富貴に慣れて、御一新後僅かばかりの間に我儘をするということが腹に在って、遂に西南の乱となった。どうも西郷は一生世の中に敵を持つ性質で、敵が居らぬとさびしいくてたまらいようであった」と、彼の性格と新政府を主導する人々の態度への不満を西南戦争の原因だと、同郷で同じ年の西郷をよく知る重野安繹のことばがある。重野と西郷はペリーが来たころにともに江戸藩邸にあった。重野が仔細なことから奄美大島にながされていたところへ、西郷が流された仲である。
政府が出来れば、政策、方針が生まれる以上、対立は避けられない。