相好理解

倒幕というホンネを包む相好理解によって成り立っていたものが、倒幕後から、この平行感覚がくずれ、あとは政権維持のタテマエがむき出しになることにより、ホンネを持つ者は邪魔扱いされる。これは、中国太古からの歴史上、例には事欠かない。日本の歴史でも同じだと思う。

大久保と西郷は倒幕という最大の目標があった。
その目的はなんであったのであろう。
確固たる思想に基づいてか?
押し寄せる外圧の危機感からか?
文明国家の大波の前で、おおくの者は今までの経験(知識)でいかに考えいかに行動するか悩んでいたことはまちがいないと思う。
そこにおおくの思惑がうまれたが、大久保と西郷らの行動が他を圧倒した。
これが明治維新で、その流れで伊藤、山県らによって明治国家が作られた。
国家建設において、大久保は組織に重点をおいたが、西郷は人間に重点をおいた。
倒幕という最大の目標が達成され、次の目標の国家建設の目標においてそういう違いがあるような気がする。
これは日本の運命を決定付けた大きな分かれ道であった。
日本は大久保が引いた路線がそのまま現在の日本に成っていると思う。
現在の日本の政治路線は国家の維持ということをいちばん大きな課題に置いた政策がなされているからだ。
この考えは国家があって民人があるといような考えである。ということは、究極的には国家組織が立ち行けば、民人の生活を犠牲にしていてもいいという考えになる。
たとえば、国家組織の予算が毎年赤字でも、民人からその分を絞りとればいいという考えであろう。足らなくなれば、消費税を上げればいいことだ。こんな楽な商売はないと思う。
だから、そのままの国家体制を民人の不満が爆発する寸前まで維持しようと思うのである。
西郷の考えを私なりに善意に誇大解釈すると、民人が主であって国家は手段である、国家だけをりっぱにしてもだめなんだ、民人が幸福になり、社会生活が円満に営まれるようにしなければいかぬという。早い話が国家とは民人のもので、国家組織とはそのために存在するもので、組織そのものためにあるのではないということを西郷は私たちに語りかけているのではなかろうか。
もう大久保の有司専制の路線から西郷の民人を主とした精神を自覚しなければならないと思う。