馬鹿

知識は大切である。しかしそれは量が問題ではない。いかに正しい知識を得、自分のものとして消化していくことかが重要なのである。無知を恐れるなかれ、偽りの知識を恐れよ。簡単にいえば、人の無知、無識、無精神は人間の本来の姿である。

無知、無識、無精神は私の周りで蔓延しています。無知のために損したり、無識のために人に知らずの間に迷惑をかけたり、無精神のためにテレビのオカルト番組を信じたり視聴者を利用したりです。でも、これが普通の生活で現実の姿ではないかと思います。

しかし、これを利用して、人をだまし金儲けしようとしている人がたくさんいます。
たとえば、電話セールスです。必ず儲かるとか、電気が安くなるとか、景品を使って高額商品を売るとか、にせ宗教によるゴマカシとか、にせ組織による寄付集めとか、ほかにも、たくさんあります。これらは、すべて人間の弱みに付け込んだもので無知、無識、無精神を利用してのサギ商法です。酷い目に遭わされても、泣き寝入りするしかないのが現実です。最近では、携帯電話のワンコール問題や、迷惑メールなども同じようですね。
商法の巧妙な手口で疑うことの知らない人々が被害に遭っています。私の生活の範囲でも多く見られます。しかし、みんな酷い目に合わされ、憤りもするし、怒りもします、腹がたっても、ただおおくは泣き寝入りすることだけ知るのみで、もとより法律で訴えるなども知る由しもない。
同じようなことが、日本の過去の戦争についても言えるのではないかと思います。普通の生活をしていてわざわざ海外の他国に行って、そこに住んでいる人々の権利を奪って、そこで生活しようとなんか思いませんよね。そこの国から物を盗もうとはしません。また、大事な息子を他国に行ってまで殺し合いをする理論なんてコレホッチもありゃしない。みんな、国指導者、つまり官僚、政治化、企業、軍人などが結び合った欲望や傲慢さからきたものであると思う。当時は各国が全アジアの植民地政策を推進していたから、当然日本も、自国の防衛のためか、自国も乗り遅れないようにその政策を採用したと必然性をよく説くが、これはあくまで、国指導者の欲望を正当化する理論で、無知、無識、無精神な人間は考える由も無い。
宗教家(知者)といえども、国家賛美の教義により戦争遂行の原動力となったことを思い浮かべてと、やもを得ずか、みずから進んでか、わからないが戦争協力に傾斜していった事実を見ることができる。
一時は「大正ロマン」が示すように、美濃部達吉天皇機関説により民主主義が提案され、大正デモクラシーと呼ばれる時代状況が生まれた。そこには新しき時代、新しき生活、健康的で新しい時代の到来を予感させるときもあったが、国指導者の欲望の前に覆された。

無知、無識、無精神な人々を指導すべき国指導者達(偉大なる人物、知者)は、口には思想は平和で、ひたすらそれに向かって邁進していると言うけれど、どれもが、自分に対する偽りの体裁(傲慢・自己保存・諦め・怖気等で端的にいえば人間の弱さ)の為、事に当たっては断行の勇気を欠いたことは、無知、無識、無精神な人々、つまり国民の物心に多大なる損害を与え、国の発展を阻止し、国の股肱の人間も多く抹殺してきた。
さらに、国指導者達のために、だまされて、国の為に粉骨努力した多くの忠誠の人々を戦争犯罪人にならしめたことも忘れてはならない。
歴史は繰る返すということもあるから、各自でこのことを考えてみては、いかがと思います。

「学問のある馬鹿は無知な馬鹿よりもっと馬鹿だ」モリエール