エノラ・ゲイ

広島に原爆を投下したB29爆撃機の名前です。
国家命令といえ、はからずも多数の生命が奪った「エノラ・ゲイ」の乗務員たちは、その後、自分たちの犯した行為をどう感じているのだろうか。
朝日ジャーナル「原爆を落した男たち」よりアメリカの心理学者ウィリビー博士が、乗務員たちの心理を分析しているものを参照してみると。

ルイス副操縦士
「戦争を早く終わらせることができたという意識と、その結果、広島の多くの人々の生命を奪ってしまったという二つの価値の対立の間で悩んで、彼の製作した広島の神の風」と題する、キノコ雲の表面に血のしたたるさまを表した大理石の彫刻を残した」

ティペッツ機長
「広島原爆を決定したのは私ではなく、そうするように命令されただけだ。戦争を個人のことを考えたことはない。私は誰よりも早く考えないようにすることができる。起こらざるをえないかった戦争行為の一つだった」

フェレビ−爆撃手
「機内には初歩的なコンピューターがセットされ、それを操作したので自分が原爆を投下したのか、コンピューターがやったのかわからない」

ピーザーレーザー係
「過ぎたことは考えないようにしている。すんだことを考えたら頭がおかしくなる。私は後悔しないし、良心のとがめもない。だからこうして生き残ったのだ」

カータ航法士
「戦争行為は正当化しなければしょうがないのだ。誰かとけんかするときには、勝つためにできることはなんでもする」

以上簡単に紹介しました。

理由がどうであれ、彼らが行った行為で多くの人々の殺害した事実はけして無くなることはないが、アメリカでは良き父であり、良き夫であることも事実である。
自分たちの行為を正当化するものがいるが何を基準に考えるかが大きな問題で、私はかけがいのない生命の尊厳の思想を根源に据えて展望していくことが人としての道が開けるのではないかと思います。