のある紡績会社の女工

渋沢栄一はわが国の近代資本主義を築き上げた人物であり実業界の育ての親。彼が1883年大阪紡績を操業し、事業は大成功をおさめ、明治産業発展のため貢献した、と辞書を調べれば書いてある。
しかし現実には、大阪紡績は、生産性を上げるために、先進国ではほとんどみられたくなりつつあった、昼夜に二交代による終夜業をとりいれた。
職工は、大部分が女性である。その女工が夜から朝まで働く。夜業は一週間から10日まで続いて、昼業と交代する。
「これまで日本の女の職業で、夜なべはあったが徹夜労働はなかった」と村上信彦が述べている。まさに連日の徹夜労働は、女性にとってあまりにも過酷な仕事であった。

1900年(明治33)のある紡績会社の女工に関する恐るべきデータがここにある。
女工は年間の年期契約で働く。親に支度金がわたされ、若い女工はその支度金にしぼられて数年間働かされることになる。
前年度より繰るし数1246人、正当解雇者815人逃走除名828人事故請願退職394人病院帰休者118人死亡者7人、当年度雇用数1538人、正当解雇というのは、無事に年期が明けたものである。
逃走除名者とは、仕事のつらさに耐えかねて逃亡した者の数である。
こうして一年間に、1347名もの女工が、会社から去っていく。したがって、新しく1500名余の女工を、雇いいれなければならなくなる。
つまり、明治・大正・昭和・現在いずれも国指導者の努力により発展したというよりも、指導者の自我の欲求より、弱者の血と汗で発展してきたということですね。