門閥制度

爆撃のため殺され、あるいは味方のために虐殺され、本土防備準備の時間稼ぎの捨石に利用された沖縄は、住民のほとんどが住居をおわれ、家を焼かれ、生活を奪われ、その生命まで失い、辛酸の苦しみを味わあされたのである。また、戦場に倒れた者だけではなく、夫を失った妻、父親を奪われた幼い子供、我が子を捧げた老いたる両親などは悲しみの底に投じられた。
例をあげればきりがないが、その凄惨の犠牲の責任はいったいどこにあるのか。原因をみれば、日本がおこした戦争のためであるが、敗戦直後の東久邇宮首相が「一億層懺悔」などと、戦争責任をくらますようなことを言いだして以来、戦争責任の追及はいつしか色あせてしまった。加害者と被害者の間には、決定的に重大な責任を負うものと、無知という責任程度しかない者の差は明白であって、この両者が一緒になって懺悔するなどというばかげたことがどこにあろうか。戦争責任を追及することは、天皇を抜きに戦争責任の所在がどこにあるかを明示できないといえよう。それをうやむやにほうり去ろうとしている。
大正12年生まれの尾藤正夫英は「大正年間に生まれた世代の者が学歴の有無をとわず戦争責任の思い出にふれる時、天皇に責任あるのは当然のこととしてお互いの間で無条件に了解されるのが普通だ・・」と書いている。私もこの言葉には全面的に賛成である。
しかるに、なぜ政治家や指導者に、このような考えが表に現れないか、考えるに、政府のしかるべき地位や待遇を与えられたともない、野党精神を失っていったのと同じように権力と地位と年齢に達すると天皇制への潮笑や批判に口をつぐむ者がおおくなるのではないだろうか。
政治家や官僚のおおくは、二代目、三代目で、平然のその地位が世襲されていて、封建制度そのものであり、「門閥制度は親の仇でござる」と福沢諭吉がもう百年以上も前にいったことが日本ではむしろ逆行しつつある。彼らは特権意識がつよくて既得権擁護を第一の考え、視野の小さな目先の利益に捉われ、国際政治が解らず今日の経済力を自負する驕りから夜郎自大になっている。また、権力者特有の自己保存意識が異常に強く責任を回避するために共謀して民人に見え透いた嘘を平然と吐き、だまし続け、国家のためと言って民人を自分らの招いた財政不足を、いまさらに、民人に強いる方法を考えていることだろう。