アィヌ

現代の日本人のうち、縄文人の身体形質をより多く受け継いでいるのは、北海道のアィヌの人たちと南西諸島(沖縄・奄美諸島)、ことにその島嶼部の人たちです。それに比べて、古墳時代以来大和朝廷の都があった畿内の人たちは、相対的に見て、縄文人よりは、よりコリアの人たちの身体形質を受け継いでおり、縄文遺跡とアィヌ語系古地名の多い東北地方に住む東北人と呼ばれる私たちは、畿内の人たちよりは、縄文人や縄文系弥生人とその子孫であるエミシの人たちに近い身体形質を受け継いでおり、その傾向は北へ行けば行くほど顕著であることがわかるとともに、そこに遺っているアィヌ語系古地名の割合も同様に北に行けば行くほど目立って多いという事実が見られます。
つまり、私たちは、たしかに日本人には違いないのですが、弥生時代から古墳時代にかけての、およそ、9百年間のうちに、朝鮮半島から次々と渡来して来た百万人にも及ぶといわれるコリア系の人たちと、その子孫の人たちとの間で混血が繰り返されてできた中間種であり、先祖のアィヌ語を忘れた新しい種の日本人なのです。
したがって、現に北東北の各地に遺されてある多くのアィヌ語系古地名は、私たち東北人の一方の先祖であり、かつ、アィヌ語族であった古代エミシの人たちが、かつて、使っていたアィヌ語の「言葉の化石」である…ということになるのです。
ところが、それらの貴重なアィヌ語系古地名が、私たちの郷土にたしかに存在しているのにもかかわらず、それが無意識的に、あるいは、故意に無視されたうえに、ありもしない伝説上の和語の意味の地名に仕立てられて、歴史資料から排除されたり、時としては誤った歴史資料にされたりしている場合もあるのです。
そのような現状のもとにあって、私たちが北東北についての郷土の歴史を論ずるとき、足下に現存しているアィヌ語系古地名を直視し、その中に縄文系エミシの人たちの偉大な精神生活の哲理やその他の文化や正しい歴史資料が潜在して隠されているということに気づき、それを真摯に学び取り、理解することが、きわめて大切であると考えさせられるのです。
ことに、自然破壊や環境汚染が危機的状態に達したままで21世紀の新時代を迎えた私たちにとって、エミシの人たちのモットーであった自然との共生とその恵みに感謝する生き方を、この書の本文に列挙するアィヌ語地名の一つ一つの中から学び取り、それを謙虚に理解し、実践することの意義を、みんなで自覚し、行動に移さなければならないと思うのです。
著者 菅原 進より