近衛文麿の上奏文


天皇は国家存亡の時でさえ、いつも自らの考えを表明する勇気を持たず、ただ情勢に流されるだけの魂なき人間だったのか、そして天皇個人の問題だけで国民全体の命運を左右する、日本国家とは天皇のことだったのか、このような天皇のために皆死んだのか、と私は残念でならない。そして戦後も、天皇として、国民の象徴として生き残り、国を指導した権力者、恥なき戦争責任者たちが考え出した「一億総懺悔」で、敗戦責任はあっさりと不問に付されてしまった。その集団がそのまま政治の中心に生き残り誰もその敗戦責任を追及するものはいない。それどころか、本来なら敗戦責任として処刑されても仕方がないものであるのに、なおも国民に対し指導している。このことがこの政治における無責任さ、自分の利害だけが関心の的、この世は金次第といった風潮を生みだし、最近のニュースを賑わしている政治家が「恥」や「責任」を感じて謝罪をしないというのはこの辺からきているのでしょう。