伊藤博文サギにあう

新橋・横浜の鉄道敷設の権利は、当初徳川によってアメリカに付与されていた。それを覆したのがイギリスのハリーパークス公使です。
六九年十一月五日、三条太政大臣部で、岩倉、沢 (外務卿)、大隙(大蔵大輔)らがパークスと会見、その助言と推薦により、同月十一日、おりから清国上海税関の総税務司をやめて帰国の途中、日本に立ちよったイギリス人ホレーシオ・レイと、日本政府との間に、東京より京都.大阪をへて兵庫に達する幹線と、東京・横浜間および琵琶湖.敦賀間の支線を布設すること、工事費は 概算三百万ポンド、そのうちさしあたり百万ポンドの外債を海関税及び鉄道純益を担保にして募り、その業務はレイに委任すること、技師・職工のやとい入れ、材料の購入についてもすべてこれをレイに委任することという契約が成立した。この男は金融詐欺師で、清国の海関の長で不正が発覚し解雇されていた。
大隈や伊藤は政府内部の反対派を説きふせて右の契約をむすぶところまでこぎつけた。レイはロンドンで調達した投資資金を持っていると説明します。しかし、それは真っ赤な嘘で、維新政府と契約を結んだ後に、資金調達に動いた。起債の条件のひとつが日本の関税収入を担保に当てることでした。アメリカのデロング駐日公使は政府に関税収入を担保にすれば、どんなポロジェクトにも融資できると注意を喚起します。そして、ロンドンで調達を、レイは日本政府とは公債の利率一割二分と契約し、ロンドンで募債するには九分の利とし、その差三分は彼が横取りしようとしていたことが、英国の新聞を見たわが外交官によって発見された。そこで、政府は急いで特使、上野景範、前島密をイギリスに派遣し、レイのロンドン市場での起債を中止させた。そこでいろいろの交渉があって、政府はようやくレイとの契約を解除し、一八七〇年四月、改めて英国東洋銀行と契約し、九分利付公債(担保は海関税)百万ポンド(四八〇万両)をロンドンで募集することとした。その発行価格は証書額面百ポンドにつき九八ポンド、まったく不利な条件であった。のみならずレイとの契約解除により、その賠償としてニ万ポンド余りをとられた。国際金融に初心な、わが維新政府の高官らはイギリスの詐欺的商法に騙された。