天皇崇拝

天皇崇拝の強度と純粋度は、民族意識の強度と純粋度に正比例します。日本国民は袋のネズミのようなもので、外から入ってくることもむずかしいが、いざという場合に国外へ亡命することも容易ではないです。日本の外敵といえば、アイヌ、クマソくらいのもので、これらはほとんど日本民族の中にとけこんでしまっています。しかも外界とのつながりがなく、多雨多湿で数千年も同じ場所で動かずに暮らしてきたというところは世界でも珍しい。断絶がなく、同じ空間で住民がながく存続すれば、陰湿な人間関係にがんじがらめになり、絶孤した四つの島に、世界でも珍しい精神風土が形成され、人類的にも非常に珍しい奇種が存在しうることになり単一民族が生まれたのです。いや、単一日本民族といっても、もとは、海外からの雑多な種族によって構成されているのですが。民族意識が無垢で純粋なのです。民族意識というものは、血とは大して関係がないと思う。このような単一民族意識の発生しやすい地理的条件にあって、その民族意識の頂点に天皇がおかれたのです。
明治期なると近代技術文化の恩恵には存分に浴したいと心がけながら、意識一般、ことに政治意識の近代化だけは、自らに否定しつづける人間が帝国臣民の理想型ということになった。これは世界史上、近代にいたってはじめて生み出された品種であり、しかも日本の精神風土の継承、受精においてのみ可能な交配種のひとつである。