慶喜と原市之進

suruya_fukuさん 2010/4/601:24:59(yahoo知恵袋)

一橋慶喜は将軍職を受ける前、原市之進を呼び寄せて相談しています。

「板倉・永井の両人には、先年の御養君の一件をもって辞とせしも、実を云わば、かかることはいずれにてもよし。ただ熟(つらつら)考うるに、今後の処置は極めて困難にして、いかに成り行くらん思い計られず。いずれにしても、徳川の家をこれまでのごとく持ち伝えんこと覚束なければ、この際断然王政の御世に復して、ひたすら忠義を尽くさんと思うが、汝の所存はいかに」と問えるに、市之進は「御尤ものご存寄りなれども、もし一著を誤らば非常の紛擾を招くべし。第一かかる大事を決行するに堪うる人の候や。今の老中等にては、失礼ながら仕果たせらるべしとも思われず。また人材なきにあらざれども、今の御制度にては、俄かに軽輩を登庸して大事の局に当たらしめ難し。さればむしろ力の及ばん限り、御先祖以来の規範を御持続ある方よろしからん」といえり。かかる次第なれば、予もいまだ政権奉還をこの際に決行するを得ずして、遂に板倉・永井を召し、「徳川家を相続するのみにして、将軍職は受けずとも済むことならば、足下等の請に従わん」といいしに、それにてもよしとの事なりしかば、遂に宗家を相続することとなれり。されども一旦相続するや、老中等はまた将軍職をも受けらるべしと強請せるのみならず、外国との関係などもありて、結局これをも諾せざるを得ざるに至れり。かかる次第にて、予が政権奉還の志を有せしは実にこの頃よりの事にて、東照公は日本国のために幕府を開きて将軍職に就かれたるが、予は日本国のために幕府を葬るの任に当るべしと覚悟を定めたるなり。

土州の後藤象二郎、福岡藤次等が松平容堂の書を持ち来たりて政権奉還を勧めし時、予はこれかねての志を遂ぐべき好機会なりと考えければ、板倉・永井等を召してその旨を告げしに、二人も「今は余儀なき次第なり。然か思し召さるる上は決行せらるる方よろしからん」と申す。予また、「本来いえば、祖宗三百年に近き政権を奉還することなれば、譜代大名以下旗本をも召して衆議を尽くすべきなれども、さありてはいたずらに紛擾を招くのみにて、議の一決せんことを望むべからざれば、むしろまず事を決して、しかる後知らしむるに如かざるべし」といいしに、三人またこれに同じたれば、後藤・福岡はもちろん、薩州の小松帯刀をはじめ、諸藩の重役を召してこの由申し聞けるに、後藤・小松等は「未曾有の御英断、真に感服に堪えず」といえり。小松はまた板倉に向かいて、「既にかく決したる上は、これより直ちに参内奏聞し給うべし」といいしかど、さる運びにもなり難しとて、翌日に至りて上表したり。

薩長両藩に下されたる倒幕の密勅は、これより先、既に内定ありしが、政権奉還の後にては妙ならざれば、その以前に発すべしとて、予の上表とほとんど同時に発せられたりという。けだし小松はこの間の消息に通ぜるをもって、ただ今直ちに奉還を奏聞せよと勧めたるものなるべし。

後藤象二郎と福岡藤次が山内容堂の書簡を持って来たのは慶応3年旧暦10月3日です。
12日に幕府老中等に大政奉還を告げ、翌13日に在京諸藩の重臣を招いてこれを伝えています。
集まった在京諸藩士はちょうど50人。
その後、意見のある者は将軍が聴聞に及ぶから残れと言われ、土州の福岡藤次、後藤象二郎、薩州の小松帯刀、芸州の辻将曹の四人が残りました。

ここの意見は「御英断、感服仕ってございます」だけです。
土佐藩薩長芸の密約やら陰謀を知っていたようです。
小松と辻が残ったのは、土佐藩に陰謀を暴露させないためのお目付けでしょう。
しかし小松はその言動からして、薩摩藩の中でも武力倒幕には反対だったと思えます。
ちなみに島津久光はこの席で、最初から最後まで部屋の外の廊下にいました。
四人が残った後の配置は以下です。
正面に徳川慶喜
それに向かって右前に小松、左前に辻、右後ろに後藤、左後ろに福岡。
その右横には横向きに幕閣がいて、上座に近い方から松平定敬、板倉勝清、永井尚志。
部屋の外廊下の右寄りに、左から戸川安愛、島津久光、設楽岩太郎、榎本亨造、梅沢孫太郎。

一つ、謎があります。
政権奉還の後、山内容堂慶喜に密書を書いています。
これは慶喜に届いていません。
内容は、大阪から京都に来るときには土佐藩兵が警護するから慶喜は単騎軽装で来るように・・・。
これが届いていたら、朝廷が慶喜を年賀の参内に呼び出し、薩長待ち伏せする計画(鳥羽伏見の戦)は水泡に帰します。
土佐藩薩長の陰謀を知っていたし、薩長土佐藩に陰謀が露見していたことを知っていたと考えるのが自然ではないでしょうか・・・?
維新後、この密書を大久保利通が持っていました。
もちろん密使から奪ったわけですよね。
密使が誰だったか分かりません。
坂本龍馬中岡慎太郎が暗殺されたのはちょうどこの頃です。