太平洋戦争、開戦前についての質問です。

日本は、日米交渉の期限を御前会議で決めたそうなのですが、
それについて何か証拠になるような資料がありますでしょうか?
この本に書かれていたよ、などの情報があると助かります。

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御前会議は天皇の希望により1938年1月11日に25年ぶりに宮中の御学問所で開かれました。御前会議は昭和天皇にとっては初めての経験です。先立つ1937年11月20日に皇居内に大本営が設置されます。御前会議には大本営御前会議と国策決定のための御前会議があり度々行われていました。参考として大江志乃夫の「御前会議」や五味川純平の「御前会議」があります。また山田朗の「大元帥昭和天皇」に詳しく前後の出来事の中で御前会議どのように行われていたかを書いています。

さて、日米交渉の期限を決めた御前会議を含め、順を追って述べれば、1941年6月22日、独ソ開戦の直後の7月2日の御前会議で「南方進出の態勢を強化」するためには「対英米戦を辞せず」との国策を決定します。この国策の決定通り7月28日南部仏印へ侵攻しました。アメリカは7月26日、資産を凍結し、8月1日、石油をはじめ重要軍事物資のいっさいの対日輸出を禁止します。そこで9月6日の御前会議で「帝国国策遂行要領」を決定します。これは「十月下旬を目途とし戦争準備を完整す」「外交交渉により十月上旬頃に至るも尚我要求を貫徹し得る目途なき場合に於いては、直ちに対米(英蘭)開戦を決意す」という開戦の決定を行います。さらに11月5日の御前会議で12月の初旬の武力発動を決め、12月1日の御前会議で最終的に確認します。