空気の代弁者

共通の目的や理念や価値などがないため、忌憚なく各自の意見を述べる自覚がない。その間に争いが起こると、対立点を明確にし共通の理念かなにかを足場にして客観的に当然な結論に近づくことができないので、とにかく何よりも和であるが故に尊しとする。

参考

http://d.hatena.ne.jp/osaju/20071212/1197465921
それよりも、いまの日本の大きな組織、官庁なり大企業なりで有能と言われている人たちと彼との類似点を観察してみる方が面白い。あるいは、あなたがそれらの組織で優秀と評価されている人ならば、自分と彼とを比較してみることは、多少とも意味のあることではないかと思う。
山本七平は、日本の組織では重要な局面における判断が「空気」によって支配されると言っている。そのような組織において優秀と認められるためには、他人に先んじてその空気を察知して、それを言語化し「空気の代弁者」となることが求められる。彼はそれに秀でていたように思う。そして、今年「KY(空気読め)」なる俗言が流行ったという。自分が正しいと思うこと(義)というのはこの国ではあまり重要視されないらしい。

感想

質疑の結論に重要な影響を及ぼすような提案や情報はあらかじめ首領或は領袖の耳に入れておき、それが議程に上されてしかるべき情勢であれば、席上であらためて彼らが代弁してくれるか、或は自らのために公言することをうかがされるはずのものと期待される。合議に「無用の」波瀾をまき起したり、発言者が無視されて面子を失したり、また計らずも有力者の認識不足を公に暴露する結果を招いて有力者の面子を傷けることになったりする惧れのないように、かねて万全の配慮がなされていなければならない。身分的社会の内的秩序を維持するためには、「自分が正しいと思うこと」を忌憚無く発言するよりも各員が文字どおり「空気を察知」しすることが、我が国では重要視されるようです。相撲協会の理事会がその典型だと思いますが、このような会議(理事会)は日本中で日常茶飯事に行われております。
もし、この会議に反対の風景がみられるとすれば、議題がとくに重要だと認められるときではなく、審議の趨勢が派閥の間の勢力均衡を動揺させるかのせいのあるときである。だから、人事(理事など)の決定は最高幹部の間で秘密主義に行われる。よって現在も政策的な相違よる派閥形成が主体とはならず、家族的な人的な結合が優先されるのでしょう。