恥の文化

 「日本人の生活において恥が最高の地位を占めているということは、恥を深刻に感じる部族または国民がすべてそうであるように、各人が自己の行動に対する世評に気をくばるということを意味する。彼はただ他人がどういう判断を下すであろうか、ということを推測しさえすればよいのであって、その他人の判断を基準にして自己の行動の方針を定める」
 
「日本人はなまなまと記憶されている者以外の祖先に対する孝行を重視しない。彼らはもっぱら今ここにあるものに集中する。多くの書物が、日本人の、抽象的思索、もしくは現存しない事物の心像を脳裏に描き出すことに対する興味の欠如を論じているが、日本人の孝行観は、中国のそれと対照してみると、やはりこのことを立証する一つの事例として役立つ」


上記は、ルース・F・ベネディクトの「恥の文化」についての解説です。

こういう傾向をたどっていくと、荻生徂徠本居宣長にさかのぼることができるのでしょう。

目に見ぬことのできる物以外に、抽象的形而上学的には何とでもいえるだろうが、そんな理屈を述べても、実際に検証すべるすべはないではないか、とか、理屈で説明する必要なないと明言しています。