いわゆる21ヶ条条約要求のための最後通牒の内容

いわゆる21ヶ条条約要求のための最後通牒の内容

帝国政府は五月六日付を以て日置公使に対し最後通牒支那政府に交付すべきことを訓電したり最後通牒は未だ発表せざるに拠り其の内容を詳かにすることを得ざるも其大要は時局の紛糾を避けんが為隣邦支那政府の情意を酌み(二十六日支那政府に提出したる)修正案中第五項を本交渉より切離し後日の商議に委ねべければ我修正案に対し速やかに承諾すべく五月九日午後六時までに満足なる回答を成すべき旨申送りたるものにして世間の伝えたる如く決して最後通牒なるものに第二次修正案を添付したるものにあらざる也
「1915年5月10東朝新聞より」

感想

日本は、「第五号は全部本交渉題目の中より引き離して、他日の交渉に譲るが、他は承認せよ。1915年5月9日午後六時までに満足すべき回答が無い場合は大日本帝国は必要と認める手段をとる」という最後通牒を送ります。これは単なる脅しではなく、山東半島には邦支那政府の再三の撤兵要求しておるのに、主力部隊がそっくりそのまま違法に残っていました。その上に、日本は増援部隊まで送り込んで、北京に攻撃をかける態勢を整えていた。

つまり、日本は、欧米列国は欧州戦線で戦力を消耗しているので、中国にまで手を出す余裕がない今のうちに何がなんでも結着をつけたいと思ったからであろうと思う。