明治維新の農業政策

明治になって、百姓は女の子を間引きするかわりに、それを娘にそだてて売ることになった。日本の近代はこの人身売買を公然のものにしたのである。近代の企業は維新政府と一体化して、商品の過剰生産の悩みを最大の矛盾として内部に包みながら、一方農村の過剰人口の矛盾を餌食にして奴隷労働に吸収しながら肥大していった。子間引き、捨て子の風習と製糸女工、女中、酌婦、売春婦への身売りの実態とは根本において同じ条件でつながっている。それは近代の農民支配の原理がいぜんとして前近代の農民支配と同質につづいていることをも意味しているといえよう。