日清戦争

我が国人は鉄砲玉一つ放ったら後から附いてくるのは確かだ。

実際ズドーンと一発鳴った効果はテキメンですよ。

開戦という既成事実は対外硬論を白い眼で見ていた者までをも挙国一致に動員してしまったからね!

無邪気なる国人の好戦の心を挑発し扇動することはたいして難しいことではないです。

石川啄木日清戦争のときの経験を回顧してつぎのようにいっている。

 「日清戦役の時は、我々一般国民はまだほんの子供に過ぎなかった。反省の力も批評の力もなく、自分等の国家の境遇、立場さえ知らぬものが多かった。無論自分等自身の国民としての自覚などをもってる者はなおさら少なかった。そういふ無知な状態に在ったからして、「庸てや懲せや清国を」といふ勇ましい軍歌が聞えなと、直ぐもう国を挙げて庸てや懲せや清国をといふ気になったのだ。反省もない。批評もない。その戦争の結果が如何な事になるかを考へる者すらないといふ有様だった」

朝鮮との戦争を日本国民はそれを運命として甘受して、それに付き従ったわけではなかったのです。つまり日本国民は軍国主義思想の注入によって天皇への忠誠心をうえつけられていったのである。

 たしかに国民の問に軍国主義に対する批判の力がそだっていなかたとき、はじめての戦争の勝利は、国民を容易に排外主義的ショナリズムの方向に連れ去り、清国に対する優越感をうえつけることさえしたのであった。

だが、他方で明治国家の栄光の陰には数多くの戦争犠牲者の留守家族・遺族は、戦勝に湧く軍国主義的風潮の高まりのなかで、その悲しみと苦痛をじっと耐え忍ばなければならなかったのである。

徳富蔑花は、広島の大本営から凱旋する明治天皇を新橋停車場に出迎えた老若男女の人波にまじって、一人が「何でえ、畜生奴、何が面自えんでい」とののしっている姿を目撃している。

戦勝気分に酔う国民の熱気の裏側には、徴兵や増税よる軍事拡張や産業拡張による民衆の苛酷な労働などの民衆の生活現実が横たわっていたのである。

民衆は、日清戦争の勝利したものの、自分たちの生活がよくならないばかりか、対露戦争にそなえ臥薪嘗胆のかけごえのもとに、巨額な増税が行われ、かえって生活が悪化していたのです。

酒税が引き上げられ、新たに営業税・登録税・葉煙草専売が創設され、地租増徴に踏み切きります。

「大蔵大臣松方正義氏は地租を増徴すると云って居るさうですが、此不景気に租税を高くされては我々貧乏百姓が粥もすすれなく成ると思ひ悲しく成って涙がこぼれる」(貧乏農夫)

「小生の身内に乗馬兵に入営して居る者がありますが、……戦争に出て生還するも一時賜金廿五円なり、地租も増税、自家用酒も税、加之に子息迄と嘆くは気の毒」(水呑百姓)

「農家と商家と一緒にされては困る。農家は年一回若くは二回の収軽で所得頗る少ないから少額の増税も大いにこたへる」(埼玉・農夫)

 軍備拡張と騒いだとても

 国民に元気がないならば

 肺病患者の負惜み

 国の衰亡はチョイトまのあたり

 ほんにさうじゃないかいな

政府に対する不満は蓄積され、それはのちに日露戦争時の民衆の怨恨につならり、日比谷暴動となたものかも知れん。