一銭五厘の命

徳川幕府とは天下を支配する覇権をにぎり、徳川家の便利私営を事としていて、民人を見ること塵灰の如くであった。そこに明治維新が起こり、幕府に類する手に国政が委ねられ、それは、同じく民人は塵灰にひとしかった。徳川幕府士農工商身分制度は開放されたが、資本主義産業の労働力は、主に税の重圧に苦しむ小農から提供され、長時間労働と低賃金を強制された。農民を徹底的に犠牲にしたまさに民草にふさわしい近代化であったと言えよう。明治は江戸時代よりも進歩したというけれど、兵役の義務が加わった分、新たなる「新平民」という名のもとに苦しまなければならなかった。さらに、天皇は現人神で、その「大御心」で臣民は生かされた。当然臣民は「大御心」に副うように生きねばならなかった。
その後、数次の戦争の総決算として太平洋戦争があり、そして敗戦があった。その間は民人とは臣民一銭五厘でいくらでも補充のきく「消耗品」で、兵器や軍馬は極度に大切にされても動物以上に扱ってもらえる二等兵などというものは、いなかったという。