日本は武力侵略思想が定着しているのか

なぜ、日本は武力侵略思想が定着しているのか。
思うに、日本国は、四海に囲まれ、君主が自分の直轄領を除く土地を諸侯に分け与えて領地を治めさせる代りに、国家有事の際には忠誠を誓わせた封建社会で、支配的立場にある人が下の者を、生活を保証すると同時に、絶対的服従を強制する社会であった。つまり、文句を言わずに服従させるやり方である。
そこには、上下の従属関係を重んじて、個人の自由や権利を認めない思想である。
明治維新が行われ、近代化がされたが、思想的には日本は上記のように旧来的な封建時代の伝統的観念が依然として生命を保っていたのであろう。
そもそも、日本は四海に囲まれているので、日本人の国際観念に民族の平等とか国際的正義とかいう視点をもってするよりも、常に力対力の関係で国際関係を見る偏向を免れえなかった。
そこに、列強の中国における弱肉強食の現実に無批判的に追従し、国際的な弱国に対して傲慢な態度しかとりえなかった。
もちろん、欧米の侵略政策に追隋するのではなく、軍備を縮小し、侵略と戦争のない世界の実現を構想した思想家がいた。植木枝盛である。 高知に生まれた植木は、17歳の時、立志社設立集会での板垣演説に感動して上京。言論活動を規制する「讒謗(ざんぼう)律」や「新聞紙条例」に対し、「言論の自由を制限する法律は人を猿にするものだ」と批判する論文を発表して投獄されたが、民主的な私擬憲法「日本国国憲案」を起草して自由党の結成に参加。そののちも「自由新聞」の編集や婦人解放問題などにつくした。90年には第1回衆議院議員総選挙で当選したが、その後急死。死因には政治がらみの陰謀説もある。
また、日本としては国内民主化に全力をつくすのが先であって、海外進出、ことに武力進出により強国への道を志すべきではないという小国主義を唱えた松永昌三がいた。しかし、それらは民権派内部でも少数意見にとどまり、政府はもとより、民権派の多数も、日本の海外進出による強国へに道を歩んでいった。その後、侵略政策は日本の一貫した国策になり太平洋戦争のそもそもの原因でもある。