民族意識

>庶民の生活をよく知ることは、統治者の能力をよく知ることにもなります。

人とは、他人の生活について無頓着なものです。なぜなら、いつも自分を中心に物事をかんがえるからではないでしょか。この私も始に自分があり思うことが最初にきます。ただ、自分を大切に思うことの意味において、それぞれにちがいがでるのでしょう。

> 歴史の改竄や統治者に都合のよい解釈は、作為的なので、後に明らかになります。それが実証性であり、科学的調査であります。

過去の出来事について、実証性のある科学的調査が果たして可能かというと、かなり難しいことだと思います。やはり、人間の行動の原理(いろんな欲)にそくして考える方がより実証性のあるものではないでしょうか。

> 歴史を断定することは無意味で、不可能ですが、歴史から現代の流れを知ることはできます。
 歴史を死学ではなく活学、現代に生かす工夫をしてほしいものです。

過去の歴史は連続して今につながっていますので、当然未来の予測もある程度読むこともできますが、やはり、人間の行動の原理を無視した考えでは難しいかもしれませんね。

> 何世紀もわたって、また同じことを繰り返しているようじゃ、いつまでたっても愚かであるばかりか、そのうち、なんて教育効果のない人類だと、自然は思って、人類が滅亡してもおかしくはないのですから…。

人間は本質的には変わらないが、 その人間集団の構成員に共通の価値観を反映した、物心両面にわたる活動の様式や、また、それによって創り出されたものはとどまることはありませんからね。生産活動と必ずしも直結しない形で真善美を追求したり獲得した知恵・知識を伝達したり人の心に感動を与えたりする高度の精神活動、すなわち学問・芸術・宗教・教育・出版などの領域について言う「精神文化」は発達していますから、それなりに人類は生きてゆくと思います。

> 現代にも、西郷のごときものがでてきて、改革をやっていてもおかしくはないのですが、そのような人は見当たりませんね?。あまり回顧主義はよくないのですが…。
 歴史解釈は、国家というものの考え方にいきつくのだと思います。民族に歴史あり、その歴史を元に国家ありです。

これからの世界は民族意識や国家意識が強すぎる、それに接触するものは、否定されますのでほどほどにしないといけませんね。