幸徳秋水と龍馬

中江兆民に師事した幸徳秋水が兆民の死一年後に「兆民先生」を書いています。
その中で「先生は以前に坂本(龍馬)君の人物のありのままをのべていうには、豪傑は、おのずから人に崇拝の念をおこさせるものである。自分は、当時少年であったが、彼をみて、なんとなくエライ人だ、と信じていたから、ふだん人に屈しない自分も、彼が純粋な土佐なまりのことばで、“中江のニイさん、煙草を買ふてきてオーセ”などと、命じられと、よろこんで使い走りをしたことが、たびたびあった。彼の目は細くて、その顔は、梅毒のためにぬけあがっていた、と」書いています。