韓国総統府

明治38年、韓国の保護化にあたり韓国総統府を置き、伊藤博文が初代統監としてソウルに赴任しますが、そのころの朝鮮半島は、まだなにかが起こるかわからない状態ですから、伊藤は、軍隊の指揮権を総監に与えてくれと要求します。
ところが山県有朋は断固ダメだと反対します。なぜなら統帥権というのは我われ軍官がもっているのであって、伊藤のような文官には渡さない、というので大喧嘩になったことがありました。伊藤は困って、明治天皇に泣きついて、天皇は山県になんとかならないか、と言いますが、彼は、「あなたの持っている統帥権とは国の根幹に関わる大切なものだ、それをみずから破られるのか」と天皇も脅しました。しかし、結果的には、伊藤に武力の使用をあたえます。
山県有朋は軍制改革にあたり徴兵制による国民皆兵を実現させ、初代陸軍卿となり、軍人勅諭の制定にかかわったほか、参謀本部・監軍本部を創設して天皇統帥権独立の道を切りひらく。軍人・官僚に絶対的な信頼をおいて政党政治をきらい、元老として長く政界に影響力をもった。ここに昭和軍部がおこした天皇統帥権の横暴の芽があったとみています。