一億総懺悔2

実質最高権力者とは軍事力も把握しているものとする。すると、日本の敗戦で日本の法はマッカーサーの下位の存在になります。当然、彼の言葉が日本の法の上に存在します。言い換えれば、彼の言葉が成文化されれば、当然、実行行為が生まれ法として機能します。しかし、彼は天皇を利用して間接統治を採用しました。これにより、日本においては戦争責任を追及する機会が失われました。「一億総懺悔」というわけの分からない理論で、日本は、責任を負うべき人は責めずにあやふやにしてしまいました。
ここが、私が問題にしている所です。今更、昔の事どうでもいいではないか、昔はむかしで偉い人が決めたからそれでいいだろう、このような考えをもつのは普通だと思います。では、なぜ私は拘るのかと言いますと、これが理解できるか、できないかで現在の行われている政治についての見方や考え方が違ってくるこということです。なぜなら、法で許されれば正義で法にふれれば犯罪であるという見方ではなく、自分の信義によって物事を良いことか、悪いことかを判断出来るようになります。皆がしているから、自分もするとか皆が賛成しているから賛成するとか、偉い人が言っているからとか、教科書にかいてあるからとか、ではなく、自分の信義に照らして間違いであると言える人間になりたいですね。
たとえば、今回の政治政策秘書の件でもいえます。つまり、自分で正しいことが判断できればこんな楽しいことはありません。

天皇を法で裁けるかどうかの問題は憲法学者が考えることで、あまり重要ではないということです。