朝鮮人強制連行

字垣総督の秘書・顧問であった鎌田沢一郎は、宇垣の後をついだ南次郎総督時代の「労務の徴用」を挙げ、次のように述べている.


「納得の上で応募させていたのでは、その予定数に仲々達しない。そこで郡とか面(村)とかの労務係が深夜や早暁、突如男子のある家の寝込みを襲い、或いは田畑で働いている最中に、トラックを廻して何げなくそれに乗せ、かくてそれらで集団を編成して、北海道や九州の炭鉱へ送り込み、その責を果すという乱暴なことをした]

朝鮮人強制連行は、国家総動員法(1938年)、国民徴用令(1939年)によって1939年から当初は「募集」という形で始められ、その後「官斡旋」(1942年)、「徴用」(1944年)というように、日本国内で労働力の不足する炭坑・鉱山・軍需工場・建築現場などに、次第に強制力を増しながら労務動員が行なわれた。つまり最初のうちは希望で日本に連れて来て、次には半強制的、それからは強制的な徴用になったのです。