明治13年ころの米

日本は1880年明治13年)ごろまでは自給自足していたが
90年代になると、人口増加や国内の工業化が行われようになると
食料生産が国内需要を賄うことができなくなり、毎年外国から米穀
を輸入して補充するようになった。

これを数字で表すと

明治23年、日本の米穀産出高4380万4千石
輸出量は16万4千石
輸入量183万9千石
輸入超過量は167万5千石

その後、国内産米は自給自足を維持することは不可能になり恒久的な米穀輸入国となってしまいました。明治33年以後は毎年4千石以上の産出高がありましたが毎年の米穀の輸入が急増します。これは人口の増加と、日本国民の一人当たりの米穀消費量が増加したところにあると言われます。日本はこのような食料不足を当時の朝鮮と台湾からの輸入米で賄っていました。

日本の政府は国内の農民層を無視した政策を続けていたことを思うに他国民の農民層に対しては、それ以上の過酷な政策を押し付けたことは疑問の余地はないと思う。

そもそも、人口増加は当時の成り行きで、維新政府として当然にその対策を講じなければならんかった。よって、維新政府の慢心した政策による功罪に帰するものであると看破する。