償いは済んでいるか、否か

戦争責任の現代の問題点(償いは済んでいるか、否か)

日本の戦後処理の特殊な三つの事情。
第一点
連合国にとる対日占領が事実上はアメリカの単独占領であり、そこにおいてはアメリカの国益が優先されたことである。対日占領政策の円滑で効率的な遂行という観点から天皇制の意識的な利用が図られ、昭和天皇の戦争責任が免責されたという事実は、そのことをよく示している。

第二点
日本の戦後処理が実際に行われる過程で、冷戦の理論が優越したことである。東京裁判でいえば、本来ならば第二次、第三次の継続裁判が予定されていたにもかかわらず、冷戦への移行のなかでアメリカ政府が戦犯追及に熱意を失い、継続裁判自体が放棄されて多数の戦犯容疑者が次々に釈放された。1951年に調印されたサンフランシスコ講和条約にしても、戦後処理という点からみれば、明らかに「寛大な講和」という側面を持っていた。講和条約のなかに戦争責任の問題への直接的言及がなく、第11条で東京裁判の判決を受諾することだけが記されていること、アメリカを中心とした主要交戦国が賠償請求権を放棄したこと、再軍備の禁止、制限条項や民主化を義務づける条項などがその具体的内容だが、そのような講和条約になった最大の原因は、アメリカノ対ソ戦略上の政治的配慮が何にもまして優先されたからである。

第三点
戦略戦争の最大の犠牲者だったアジア諸国の国際的地位の問題である。日本の戦後処理の過程は、アジア諸国にとっては、脱植民地化「国民国家形成」の過程と重なっていた。そのことは、アジア諸国がその国際社会において占める比重の低さの故に、日本の戦後処理のあり方に充分な影響力を及ぼすことができなかったことを意味している。

以上のような要因が複合するなかで、日本は戦争責任問題を事実上棚上げしたうえで、巨額な賠償支払いの経済的負担に悩ませることなく、経済成長に専念することが可能になったのである。ところが、1980年から90年にかけての時期になると、上記のような日本の戦後処理のあり方を支えていた前提条件が変わり始める。すなわち、冷戦終焉、アジア諸国の急速な経済成長とそれに伴う国際的な発言権の増大、アジア諸国民主化の進展などの新たな状況の変化である。その結果、日本からの経済援助を優先させる形で開発独裁型の軍事政権が押さえ込んでいた民衆の対日批判が、公然と歴史の表舞台に登場するようになったのである。
(吉田裕「十五年戦争と日本人の歴史観・戦争観」の私見

半世紀もの年月が流れているにもかかわらず、日本国家と日本人の戦争責任を考えてみることは自分の歴史観のために必要なことです。